Web鉄道模型情報『大鉄道博 mini』

鉄道模型の世界へようこそ

鉄道模型(てつどうもけい)は、一定の縮尺・軌間による鉄道車両・線路の模型をいう。
イギリス、アメリカ、ヨーロッパ大陸などでは鉄道模型の愛好者団体(MOROPなど)が存在し、それぞれが統一規格と呼べるものを定めているが、それらの規格は、細かい点において他者の規格とは異なっている場合もある。
指先でつまめるようなサイズのものから、実物の数分の一で、乗用台車を牽引して跨って乗れる程度のものまで、実物のように動作をする列車模型と、その周りの情景を含め一般的に「鉄道模型」と呼ぶ。
当初は高価な趣味であったが、一般に普及するにつれて庶民の住宅事情を反映し小サイズの模型がより普及する傾向にある。かつてはブリキ製の玩具との境界はあいまいであったが、次第に決められた縮尺・軌間によって車両やレイアウト・ジオラマを製作して、コレクションしたり線路上を走行させて鉄道の情景を楽しむための規格が定められるようになった。
遊戯施設などで実物の鉄道の1/3サイズで製作され、客車の内部に乗車できるもの(イギリス:ロムニー鉄道、日本:伊豆修善寺虹の郷)や、鉄道車両の実物大試作モックアップなども模型ではあるが、一般的にはこれらを鉄道模型とはいわない。また、プラモデルや置物などのような走行させることができない列車模型は、鉄道模型とは区別される。
他の種類の模型と異なり、鉄道模型では車両と線路(軌間)が常に対となっている。縮尺によってサイズはさまざまであるが、ある程度の数の縮尺に集約されている。これは縮尺に規格を定める事で既製品を利用できるようにするためである。

日本における歴史

幕末に帝政ロシアのプチャーチンが来航し蒸気で走る模型を披露したとの記録がある。また、ペリーが黒船で浦賀に来航した際に幕府に蒸気機関車の模型を献上したとされる。佐賀藩の精錬方であった田中久重が蒸気車の雛型(模型)を作った。桂小五郎がナポレオン号を持ち帰った記録もある。また、加賀の大野弁吉が蒸気機関車の模型を作った記録がある。このように日本では実物よりも先に模型の方が完成した。これにより蒸気機関に関する理解が深まった。その後、鉄道省で教材として作られた。
1930年代になり、子供の科学誌で本間清人が「50mmゲージ」を提唱する。その後科学画報誌で香西健が「35mmゲージ」を提唱する。また、ドイツやアメリカから2番、1番などの鉄道模型が輸入され、愛好者層を中心に徐々に普及した。戦争による中断を経て戦後は進駐軍向けのOゲージ、HOゲージの輸出が盛んになりやがて外貨獲得の手段として輸出が拡大する。1960年代になると16番ゲージが愛好者層を中心として普及し、1980年代以降、Nゲージの普及により愛好者層が拡大し現在に至る。

ぜんまいによるもの

初期の鉄道模型ではぜんまい式の動力の物が存在した。それらはスプリングモーターと称された。現在でも一部のブリキ製鉄道玩具に使用される。

蒸気によるもの

当初は簡易なボイラーと単動首振りエンジンを組み合わせた、動き出したら水または燃料がなくなるまで走り続ける物が多かった。そのうちに実物と全く同等なつくりで、人間をのせた車両を牽いて走る模型が主流となった。これは給水、焚火、運転が実物どおりでタービン発電機やインジェクタまで装備するものが現れた。またアメリカで実用化された関節式機関車を、実物どおりのボールジョイントの給排気管で結ぶ模型も出現している。また、蒸気タービンで発電して電動モーターで走る模型も試作されている。
手軽に運転できる電動式模型の普及により一時期廃れていたが、1970年代半ば頃から一部の熱心な愛好者と彼らに支えられた新たなメーカーの参入により以前に比べよりハードルが低くなってきている。また、近年、各地で愛好者が集う運転会が開かれ、徐々に愛好者は増えつつある。
また、メルクリンなどの既存のメーカーも新製品を出しつつある。電子工学の進歩により、小型模型をラジオ・コントロールすることが可能になり、1番ゲージでは多くの人たちが楽しむようになった。また近年、イギリスのホーンビィからOOゲージの電熱蒸気機関車が発売され、外部から汽笛吹鳴までコントロールできる完成品も発売されている。 現在はライブスチームと呼ばれる、庭園鉄道の一分野として楽しまれている。

電気モーターによるもの

電動模型は、家庭への配電と同時に始まった。当時の電池は高価で性能が悪かったからである。交流による家庭への配電が開始される前に一部の地域では直流で配電されていた。
当初採用されていた蒸気あるいはぜんまい式の二線式軌道に集電用の第三軌条を付け加えることにより電動化が実現された。二線式を採用するには車輪を絶縁しなければならないので、それまでに売った車両の改造をしなければならなかったが、実物に習い中央の第三軌条から集電すればそれまでの製品との不整合がなくなる。日本では実物に中央三線式の鉄道が存在しなかったため、このタイプの集電方式は玩具的であると嫌われたが、逆に欧米では本物と同じであるとして受け入れられてきた。
当初は直巻電動機を自作し変圧器または抵抗器で制御していた。抵抗器は食塩水を用いたものもあった。小型の電動機が模型用として発売されるようになると、それを納める動力車の大きさが決まってしまう。すなわち模型のサイズの小型化はモーターのサイズの小型化の歴史であった。
界磁コイルを軸の延長上に移したり、両軸モーターを作り車軸間に納めたり、この時期の工夫は目覚しい。
界磁が電磁石の直巻電動機は、交流でも直流でも回転し、実物同様、機関車、電車の駆動には適する特性を持っていた。起動時に電流の2乗に比例して起動トルクが発生し、回転が上がると同時に電流が減少する。速度に応じて徐々に電圧を上げれば実感的な運転ができるわけである。
しかし、逆転には界磁の極性を反転させねばならなかった。ライオネル、メルクリンらは、電流を瞬間的に遮断することにより作動する逆転リレーなどを開発し市販した。しかし分岐機を通過する際に誤動作することがあり、モーターの回転による遠心力を用いた誤動作防止装置が一部の愛好者によって開発された。
1930年代になると直流駆動への試みが始まった。一部の地域では直流で配電されていたが、大部分の地域では交流による配電だった。アメリカではモータリゼーションにより自動車用の小型の整流器が民生用として発売されたのを受け、界磁電流をセレン整流器で整流して走行電流の極性を反転して逆行させる工夫がなされた。また電圧は自動車の12Vを標準電圧として採用した。
1940年代になると永久磁石を界磁にしたマグネット・モーターが市販されるようになった。これは、小型軽量で消費電力も少なかったが、分巻特性を持ち、与えられた電圧と回転数が正比例するものであった。すると、抵抗による電流制御よりも電子機器による電圧制御によるコントロールが望ましくなる。これはトランジスタ・コントローラの発達を促し、レオスタットを駆逐した。
マグネット・モーターは、停止時に界磁が電機子を吸着して動きにくくするコッギング(英語ではteethingという)が避けられず、機関車は手で押して動かすことは不可能であった。マグネット・モーターの軸を手で廻すとあたかもサイコロを転がすごとく、特定の位置で引っかかりを感じるが、直巻電動機を採用していたライオネル、メルクリンの機関車は、レールに手で押し付けて押せばモーターが回転する。
また、最近ではコッギングがなくスムーズな走行でより大きなトルクが出せるコアレス・モーターやコッギングはあるが、より大きなトルクが出せるブラシレスモーターも普及しつつある。
モーターから車輪までの動力伝達にはウォームギヤが多用される。スパーギヤ、ベベルギヤの使用は少ないが、一部高級機種ではウォームギアの一種であるコースティング・ギヤの使用も認められる。それは前者では一段で大きなギヤ比を実現でき、また、モーター軸と駆動軸が直交するのがモーターの配置上大変便利な位置関係だからである。しかし鉄道模型で使用されるウォームギヤは安全性の観点から逆駆動できないものが多いため、特殊なクラッチを用いて歯車の自動切り離しをする手法も現れた。しかしこの手法は一過性のもので、製品に反映される性格のものではなかった。一方、コースティング・ギヤを使用した機種では逆駆動の問題は解決している。
マグネット・モーターの一種のコアレス・モーターは鉄心を持たないムービング・コイル型モーターでそれをスパーギヤで減速すると押して動く動力車ができる。しかし限られた空間に収められるギヤはギヤ比が1:4程度のものであり、あまりにも牽引力が小さく、最高速が大きすぎるものであった。1984年にコースティング・ギヤが開発され、高効率と静粛性を併せ持つ動力車の実現が可能になった。
これらの電動模型は同一線路上ではすべての動力車が同一の動きをするが、それでは不満足な愛好者は多重制御方式へと向かい、それはDCCとして実現された。

内燃機関によるもの

一部の愛好者やメーカーによって内燃機関を搭載した鉄道模型が製造されている。生産数は少ないが熱心な愛好者の手によって伝承されている。内燃機関にはガソリンエンジンやグローエンジンを使用し、発電機を駆動して電気モーターで推進するものや減速機を介して動輪を駆動するものが存在する。またレシプロ機関だけでなくガスタービンも一部の愛好者の手で作られている。

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